【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第5回:菅野さんのこと。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

──音楽は、ご両親の影響で好きになったんでしょうか?

親父ですね。

 

親父は、はっきりとは教えてくれなかったけど、二十歳くらいの時に俳優かミュージシャンか目指して上京してたみたいなんですよ。荻窪に住んでて、どこかの劇団にいたとかいないとか。

 

ただ、具体的なところは、親戚に聞いてもまちまちだし、まぁ田舎のおじさんたちの言うことだから、あいつは東京に行って、役者になっただのミュージシャンになっただの、どっちかわかんないんです。

親父は、そういう過去があって、だから音楽は好きでしたよ。役者目指して、何があったかはわからないけど、また岩手に戻ってきて婿入りして。そして、ぼくが生まれたと。

 

小さい頃、赤ちゃんのおれを風呂に入れながら、『Over The Rainbow』を歌って聴かせたっていうんですよ。もちろん全然覚えてないけど。

だから、「おまえがジャズの道に入ったのは、おれのおかげだ」って、昔言ってて。

ぼくがプロになるって言った時もすごく応援してくれて。

会社員やって、何年後かにプロになるって言ったんですが、反対されなかったですね。

 

でも、その頃まだ知らなかったんです。親父の若い頃の話。

知ったのは、最近でもないけど、30過ぎてから。20代の頃は知らなかったですね。

プロになってから何年かして、親戚で集まってたら、「おまえプロやってるんだって?そういやおまえの父ちゃんも目指してやってたもんなぁ」って言われて。

「はぁっ!?そんなん知らねぇ!」って。若い頃に東京住んでたってのは聞いてたけど。

 

でも親父、自分からは絶対言わなかったですね。

一緒に酒飲んでて、いい感じになってきたとこで聞き出そうとしたことあったんですけど、話さなかったですね。

「あーまずいいから、そんなこといいから」って。最後まで話さなかったですね。

隠したいのか、プライドを守るためなのか、色々あったんでしょうね。

最後まで話さなかったところがカッコいいんですよね。尊敬してます。

聞き出せなかった自分が悔しくて、負けたって思います(笑)。

あぁ、いつか越えてやろうって。カッコいいままで想像させていたいってのもあったのかも。

本当のことを知って幻滅したりすることもあるから、そうしたくないってのもあったのかもなって。

 

──(ビッグ・フィッシュのような‥‥。)ウロコ本の最後に、お父さんに向けたメッセージがありました。

そう。原稿書いているときに亡くなって。震災前の2010年9月だったので、もう10年近く前ですね。

 

──(トイレに行ったり、日本酒をお代わりしつつ)菅野さんのホームページのバイオグラフィーで、小さい頃は自転車に夢中だったと拝見しました。

石井いさみが書いた750ライダーという漫画があるんですけど、あれが大好きで。

漫画見ながらバイクの絵を電柱に書いてました。

真似するのが好きだったんです。

 

あと、ブラックジャックの単行本を親戚のおじさんからもらったことがあって、その1冊を、もう全部覚えるくらいに何度も読んで。

ブラックジャックは全巻大人買いしちゃいました。

そしたらうちの娘もハマっちゃってて。いまでは一緒に話できますよ(笑)。

 

だから深く掘るのが好きなんですよね。広く浅くではなくて。好きなCDを全部覚えちゃうくらいに。

ベースソロ、ピアノソロ、ドラムソロも全部口で歌えますからね。

徹底的ですね。それ以外聴かなくなりますからね。

 

妄想とコピーが好きなんですよ。

 

──コピーといえば、菅野さんがチャーリー・クリスチャンのコピーしてる動画、すごかったです!


Swing to Bop - Charlie Christian cover

 

もし、チャーリー・クリスチャンのコンテストがあったら出たいですね。

日本じゃ断トツで、世界でもメダル圏内の自信あります(笑)。

 

コピーの満足感、達成感はたまんないです。弾いたのを録音して、聴いて、おぉーよし!ってね。

スピード感とか、音をどこまで伸ばすか、弦から指を離すタイミングとか。

指を離すタイミングって大事なんです。離すのが早いとプツプツして、せかせかした感じになって。離すのが遅いとたっぷりとして安心して聴けるんです。すごく大事なことで。

そこの感覚を掴むんです。まさに完コピなんです。タイミングも強弱も。

 

──(当たり前ですけど)ほんとにジャズが好きなんですねぇ。

好きですねぇ。

あ、でも、一時期はジャズよりもスティービー・ワンダーのほうが好きになりました。1年間くらい。

 

──へぇー。どういったきっかけだったんですか?

ジョージ・ベンソンのライブを観に行ったのがきっかけで、色々聴くようになって。

ブルーノートに来たんです。そしたらジャズなんて一切やらなくて、8ビートのカッコいいやつをやるんですよ。

それで、なんじゃこりゃぁって(笑)。洋楽ってカッコいいなって。

 

それから、TSUTAYAで80年代洋楽ベストみたいのを借りたらスティービー・ワンダーが入ってて。あぁこれがスティービー・ワンダーなんだって。

まぁハマりましたねぇ。ジャズはまったく聴かなかったです。

 

──ハマると極端ですね(笑)。

夢中になりましたね。だから歌詞も覚えて。ライブでもやってるんですよ。

Overjoyed、Lately、Sir Duke、You Are The Sunshine Of My Life、My Cherie Amourとか。有名どころをかなり歌い込んで。

 

なんか根本的なところは同じだなって感じがしますね。リズムを大事にしていて。

根っこは一緒で、別の木が生えてるような。だから聴き込んだ時に、あ、ジャズだって。

一緒だなって感じて、またジャズ聴こう、って気になったんです。それでジャズに戻ってきました。 

 

──(日本酒お代わりしつつ)菅野さん、人のライブ見に行ったりするんですか?

あ、それ聞いちゃいます?核心にきますね(笑)。

 

──いや、そんなつもりは(笑)。

ぼくは、人のライブ行かないんですよ。

ある時、自分でライブしてて思ったんですよね、お客さん少ないなぁって。良い演奏してるのになんでかなって思ってたらある時気がついて。

あ、おれ自身が人のライブ行ってないなって。そりゃあそうだって(笑)。

 

だからお客さん少なくても平気になったんです。良いか悪いかは別として気にしなくなって。

お店とかミュージシャン同士の繋がりを大事にする人はそこから仕事が生まれてるんですけどね。

ぼく、行かなくなっちゃったから、そういうの全部なくなりました。

 

それってプレイヤーとしてはマイナスなんだけど、ぼくやっぱり大元、根っこが大事なんですよ。

根っこで考えると、プロでいることよりも、ジャズファンでいることが大事なんです。

ジャズが好きで、サッチモとかベイシーが大好きで。

 

東京で第一線で活躍するってことは、ぼくの中では低いんです。

だからぼく東京でのライブはすごく少ないと思います。ほとんどしないんです。

ツアーに行くのは、とにかくジャズコミュニティを広げたいからなんですよね。

地方だとなかなかそういう場がないから人が集まってくれるし。

東京だとそういう場がたくさんあるから、だから、地方は積極的に行くんですよ。

地方に行く先々で、目からウロコの本持ってますって言われるとめちゃくちゃ嬉しいですね。

 

あと、東京はドライだなって思います。ぼく、心はやっぱり岩手なんですよね。田舎なんです。

そういうドライな感じってのは合わなくて、どうしても離れちゃって。

昔は毎日のようにライブやってたんですよ。30代の頃は毎日のように。

だからあいつは引退したって思われてるかもですね(笑)。

 

まぁ、そう言われたらその通りなんですけど。そのまま東京でライブを続けることがどうにもね。

性格的に打たれ弱いというか。無理して苦しんで、もしかしてジャズが嫌いになっちゃうんじゃないかって。音楽やめちゃっていたかもしれない。

それよりは、教えるほうが楽しいし、それを活かしたほうが、人のためにもなると思って。

 

教えることは天職だと思ってます。

プレイヤーよりもコーチ。スポーツクラブのインストラクターみたいな。

天職ですね。魅力も生きがいも感じてます。

 

で、たまにライブやる時に本領発揮すればいいんですよ。希少価値が高まるし(笑)。

ライブは月に3本くらいでいいかな。そこに集中するようになりますしね。

で、その他の時間は、菅野メソッドの磨きと、自分のための練習ですね。

 

──(最後に)ジャズって今後どうなっていくんでしょうね。

あと10年くらい経つと、ジャズ界がすごく面白いことになりそうだなって感じます。世代交代もするし。

 

地方によく行きますけど、岩手の南部煎餅がですよ、新商品でチョコ入れたりしてるんですよ。伝統もある銘菓だけど、明らかに世代交代している。

 

いいものは残して変わっていきつつ、古い考えや、こびりついてるものはきれいに落として。

楽しみです。

 

(おわります)