【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第5回:菅野さんのこと。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

──音楽は、ご両親の影響で好きになったんでしょうか?

親父ですね。

 

親父は、はっきりとは教えてくれなかったけど、二十歳くらいの時に俳優かミュージシャンか目指して上京してたみたいなんですよ。荻窪に住んでて、どこかの劇団にいたとかいないとか。

 

ただ、具体的なところは、親戚に聞いてもまちまちだし、まぁ田舎のおじさんたちの言うことだから、あいつは東京に行って、役者になっただのミュージシャンになっただの、どっちかわかんないんです。

親父は、そういう過去があって、だから音楽は好きでしたよ。役者目指して、何があったかはわからないけど、また岩手に戻ってきて婿入りして。そして、ぼくが生まれたと。

 

小さい頃、赤ちゃんのおれを風呂に入れながら、『Over The Rainbow』を歌って聴かせたっていうんですよ。もちろん全然覚えてないけど。

だから、「おまえがジャズの道に入ったのは、おれのおかげだ」って、昔言ってて。

ぼくがプロになるって言った時もすごく応援してくれて。

会社員やって、何年後かにプロになるって言ったんですが、反対されなかったですね。

 

でも、その頃まだ知らなかったんです。親父の若い頃の話。

知ったのは、最近でもないけど、30過ぎてから。20代の頃は知らなかったですね。

プロになってから何年かして、親戚で集まってたら、「おまえプロやってるんだって?そういやおまえの父ちゃんも目指してやってたもんなぁ」って言われて。

「はぁっ!?そんなん知らねぇ!」って。若い頃に東京住んでたってのは聞いてたけど。

 

でも親父、自分からは絶対言わなかったですね。

一緒に酒飲んでて、いい感じになってきたとこで聞き出そうとしたことあったんですけど、話さなかったですね。

「あーまずいいから、そんなこといいから」って。最後まで話さなかったですね。

隠したいのか、プライドを守るためなのか、色々あったんでしょうね。

最後まで話さなかったところがカッコいいんですよね。尊敬してます。

聞き出せなかった自分が悔しくて、負けたって思います(笑)。

あぁ、いつか越えてやろうって。カッコいいままで想像させていたいってのもあったのかも。

本当のことを知って幻滅したりすることもあるから、そうしたくないってのもあったのかもなって。

 

──(ビッグ・フィッシュのような‥‥。)ウロコ本の最後に、お父さんに向けたメッセージがありました。

そう。原稿書いているときに亡くなって。震災前の2010年9月だったので、もう10年近く前ですね。

 

──(トイレに行ったり、日本酒をお代わりしつつ)菅野さんのホームページのバイオグラフィーで、小さい頃は自転車に夢中だったと拝見しました。

石井いさみが書いた750ライダーという漫画があるんですけど、あれが大好きで。

漫画見ながらバイクの絵を電柱に書いてました。

真似するのが好きだったんです。

 

あと、ブラックジャックの単行本を親戚のおじさんからもらったことがあって、その1冊を、もう全部覚えるくらいに何度も読んで。

ブラックジャックは全巻大人買いしちゃいました。

そしたらうちの娘もハマっちゃってて。いまでは一緒に話できますよ(笑)。

 

だから深く掘るのが好きなんですよね。広く浅くではなくて。好きなCDを全部覚えちゃうくらいに。

ベースソロ、ピアノソロ、ドラムソロも全部口で歌えますからね。

徹底的ですね。それ以外聴かなくなりますからね。

 

妄想とコピーが好きなんですよ。

 

──コピーといえば、菅野さんがチャーリー・クリスチャンのコピーしてる動画、すごかったです!


Swing to Bop - Charlie Christian cover

 

もし、チャーリー・クリスチャンのコンテストがあったら出たいですね。

日本じゃ断トツで、世界でもメダル圏内の自信あります(笑)。

 

コピーの満足感、達成感はたまんないです。弾いたのを録音して、聴いて、おぉーよし!ってね。

スピード感とか、音をどこまで伸ばすか、弦から指を離すタイミングとか。

指を離すタイミングって大事なんです。離すのが早いとプツプツして、せかせかした感じになって。離すのが遅いとたっぷりとして安心して聴けるんです。すごく大事なことで。

そこの感覚を掴むんです。まさに完コピなんです。タイミングも強弱も。

 

──(当たり前ですけど)ほんとにジャズが好きなんですねぇ。

好きですねぇ。

あ、でも、一時期はジャズよりもスティービー・ワンダーのほうが好きになりました。1年間くらい。

 

──へぇー。どういったきっかけだったんですか?

ジョージ・ベンソンのライブを観に行ったのがきっかけで、色々聴くようになって。

ブルーノートに来たんです。そしたらジャズなんて一切やらなくて、8ビートのカッコいいやつをやるんですよ。

それで、なんじゃこりゃぁって(笑)。洋楽ってカッコいいなって。

 

それから、TSUTAYAで80年代洋楽ベストみたいのを借りたらスティービー・ワンダーが入ってて。あぁこれがスティービー・ワンダーなんだって。

まぁハマりましたねぇ。ジャズはまったく聴かなかったです。

 

──ハマると極端ですね(笑)。

夢中になりましたね。だから歌詞も覚えて。ライブでもやってるんですよ。

Overjoyed、Lately、Sir Duke、You Are The Sunshine Of My Life、My Cherie Amourとか。有名どころをかなり歌い込んで。

 

なんか根本的なところは同じだなって感じがしますね。リズムを大事にしていて。

根っこは一緒で、別の木が生えてるような。だから聴き込んだ時に、あ、ジャズだって。

一緒だなって感じて、またジャズ聴こう、って気になったんです。それでジャズに戻ってきました。 

 

──(日本酒お代わりしつつ)菅野さん、人のライブ見に行ったりするんですか?

あ、それ聞いちゃいます?核心にきますね(笑)。

 

──いや、そんなつもりは(笑)。

ぼくは、人のライブ行かないんですよ。

ある時、自分でライブしてて思ったんですよね、お客さん少ないなぁって。良い演奏してるのになんでかなって思ってたらある時気がついて。

あ、おれ自身が人のライブ行ってないなって。そりゃあそうだって(笑)。

 

だからお客さん少なくても平気になったんです。良いか悪いかは別として気にしなくなって。

お店とかミュージシャン同士の繋がりを大事にする人はそこから仕事が生まれてるんですけどね。

ぼく、行かなくなっちゃったから、そういうの全部なくなりました。

 

それってプレイヤーとしてはマイナスなんだけど、ぼくやっぱり大元、根っこが大事なんですよ。

根っこで考えると、プロでいることよりも、ジャズファンでいることが大事なんです。

ジャズが好きで、サッチモとかベイシーが大好きで。

 

東京で第一線で活躍するってことは、ぼくの中では低いんです。

だからぼく東京でのライブはすごく少ないと思います。ほとんどしないんです。

ツアーに行くのは、とにかくジャズコミュニティを広げたいからなんですよね。

地方だとなかなかそういう場がないから人が集まってくれるし。

東京だとそういう場がたくさんあるから、だから、地方は積極的に行くんですよ。

地方に行く先々で、目からウロコの本持ってますって言われるとめちゃくちゃ嬉しいですね。

 

あと、東京はドライだなって思います。ぼく、心はやっぱり岩手なんですよね。田舎なんです。

そういうドライな感じってのは合わなくて、どうしても離れちゃって。

昔は毎日のようにライブやってたんですよ。30代の頃は毎日のように。

だからあいつは引退したって思われてるかもですね(笑)。

 

まぁ、そう言われたらその通りなんですけど。そのまま東京でライブを続けることがどうにもね。

性格的に打たれ弱いというか。無理して苦しんで、もしかしてジャズが嫌いになっちゃうんじゃないかって。音楽やめちゃっていたかもしれない。

それよりは、教えるほうが楽しいし、それを活かしたほうが、人のためにもなると思って。

 

教えることは天職だと思ってます。

プレイヤーよりもコーチ。スポーツクラブのインストラクターみたいな。

天職ですね。魅力も生きがいも感じてます。

 

で、たまにライブやる時に本領発揮すればいいんですよ。希少価値が高まるし(笑)。

ライブは月に3本くらいでいいかな。そこに集中するようになりますしね。

で、その他の時間は、菅野メソッドの磨きと、自分のための練習ですね。

 

──(最後に)ジャズって今後どうなっていくんでしょうね。

あと10年くらい経つと、ジャズ界がすごく面白いことになりそうだなって感じます。世代交代もするし。

 

地方によく行きますけど、岩手の南部煎餅がですよ、新商品でチョコ入れたりしてるんですよ。伝統もある銘菓だけど、明らかに世代交代している。

 

いいものは残して変わっていきつつ、古い考えや、こびりついてるものはきれいに落として。

楽しみです。

 

(おわります)

【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第4回:「教える」こと。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

──「教える」ということはいつから始めたのでしょうか?

ちょうど30歳くらいの頃かな。

その頃、何名か生徒がいたけど、当時は自分に教え方のスキルなんてないから、潮先先生の教え方を真似してたんです。

先生は、とにかく生徒のやる気を出させてくれる教え方だったので、そこを真似してました。レッスンの場の雰囲気、やる気を出させてくれる場を作る、ということを。

とにかく見よう見まねでやっていたんです。

 

でも、教えているうちに生徒が上達して、わかりやすくて良いですって言われると嬉しいじゃないですか。

じゃあもっとわかりやすくするためにはどうしたら良いかなと考えるようになって。

そこから「教えるスキル」を研究しだして、それに関しては誰かに教わったということではなくて自分で考えて、どうしていけばいいかなと試行錯誤を重ねて、10年ちょっとですかね。

 

自分自身が練習した頃を振り返ると、難しい道を通って、遠回りもしたと思う。

でも、登山みたいなイメージなんですけど、ある程度のところまで弾けるようになって、見晴らしのいいところから下のほうを見たら、あぁこういうコースもあるな、このコースをこう来れば早いじゃんみたいな、上から見ると見え方が全然違って。

それでこれから練習する人は、ここを通ったほうが絶対良いよなと、いうのを考えて、いまのメソッドを編み出したという感じですね。

 

──実際に何度かセミナーを体験してみて、資料や内容が常にアップデートされているなぁと思います。

まめに改訂される教科書のような。しばらく経つと、おかわり(再受講)したいという気持ちになります。

資料はアップデートして、ある程度まとまったら、みなさんに配布もしてます。

セミナーで使っている練習曲ありますよね。あれ、コード進行がほぼ完璧なんですよ。

練習にピッタリで。これは良いものができたぞと思ってたわけですよ。

それで練習して上手くなる人ももちろんいますし。

 

でも、ついこの間のセミナーで生徒さんから意見をいただいて。

「この練習曲はメロディがないからどうしてもピンとこない。『Fly Me To The Moon』はメロディを知ってるから弾けるけど」って。

なるほど!と。それは気が付かなかった点でした。

生徒さんが引っかかっている点ですよね。改良すべき点。

 

それで、どうしようかなと思って、あのコード進行に合う曲だと、『Just Squeeze Me』、あの曲のAの部分が同じなんですよ。あの可愛らしいメロディならみんなわかるぞと思って。

だから、ポール・デスモンドの演奏を参考音源として資料にして、これでやってみましょうと、さっき生徒さんたちにメールを送ったところなんです。

これならイメージできてアドリブもしやすくなるかなと思って。

あとは『Stompin' At The Savoy』でも応用できます。

 

常に常に柔軟に。個人でやってるからできるんでしょうね。

だから楽しいんですよね。こうやったらこうしたら弾けるようになるだろうと考えるのが。

 

「もうジャズは諦めてたけど、最後の望みでセミナーに参加しました」って人から、受講後に「霧が晴れて見えてきました」ってコメントをもらえると、もうめちゃくちゃ嬉しいですね。

もっと良くしてやろう、よしやってやるぞ、という気持ちになるし。

すごく良い上昇気流になってますね、今。充実してます。

 

──すごく体系化されていてわかりやすいなぁと思います。ジャズの楽しさを広めるという思いもすごく伝わります。

そこは自信ありますね。10年間突き詰めてきたので。誰にも負けないくらい頑張った。

1位ではないかもしれないけど5位以内には入りたいな。メダル圏内とは言われたい(笑)。

 

──夜のセッションの雰囲気も好きです。お酒飲みながらでユルくて。

思いつきですけどね。

スカイプレッスンを3年4年かな、長く続けてる遠方の生徒さんたちがいて、みんな上手くなるんですけど、実践の場がないって言うんです。

 

で、ある生徒さんが、結構弾ける人ですよ、その人が遠出していざ実践の場に行ってきた。 

そしたら、ボロボロでした、撃沈しましたと言うんです。ただ、それは単に場慣れしてないだけで。でも、勇気を出して行ってみたのに、すごく凹んで帰ってきて。それで、悪い印象だけが残ってしまった。 

 

それってなんてもったいないんだろうと思って。遠方に住んでるからしょっちゅうセッションに行けないし。

何度も何度も通って、場慣れして上手くなっていくものなんだけど。それができない。

生徒さんだけでなく、ぼくもすごく悔しかった。

ほんとは普通に弾けるんですよ、その人。だからすごく悔しくて、でもどうしようもなくて。

 

だから、菅野流セミナーではみんなで集まって、夜はセッションしましょうという形にしたら場数を踏める良い機会になるんじゃないかって。そういう発想なんです。

 

スカイプレッスンだと、生徒さんとぼくのマンツーマンなので、まわりに誰かすごい人がいて、「おぉ、あの人すごい!おれもやるぞ!」って思うことがないじゃないですか。

生徒さんから見たらぼくが弾けるのは当然だから刺激にならない。

同じタイミングで出会った同じレベルの生徒の中で上手い人がいると、刺激を受けるんです。

Sくんとか、おれのフレーズばっか弾いて、 冗談でこのヤローとか言うけど、ほんとに嬉しい。 涙出そうですよ。

ああいう人がいると、 みんなが刺激を受けるんですよね。

 

──ほんとそう思います。

ねぇ。だからセミナーは10人くらいにしてて。

あんまり人数多いと見渡せなくなるけど、10人くらいで1人、2人弾ける人いると良い刺激になるんですよね。すごくいいんですよね。

 

準備は大変なんだけど。セミナーの前の晩は3時間か4時間かけてあの仕込みしますね。豚汁の。

だって、豚汁美味しいからみんなおかわりするでしょ?そしたら10人?あ、ぼく入れて11人。

みんなおかわりするから20人分、夜もちょっと食べたいから25人分くらい。

大根まるまる1本、人参大きいの3本、こんにゃくデカいの2つをスーパーで買って。

 

あれ、なんで豚汁の話してるんだっけ(笑)。

 

──んー、ええと、なんでしたっけ(笑)。

とにかく楽しい。開催することが楽しい。

豚汁作ることはめちゃくちゃ大変だけど。けどそれが全然苦じゃなくて、毎回やってるんです。

 

──すごく美味しいです。他の参加者の方とも同じ釜の飯食べた仲間の気持ちになりますし。

美味しいって言ってもらえるのも嬉しくて。違う喜びも芽生えて(笑)。

人に美味しいって言ってもらえるのってこんなに嬉しいんだって。

それって、教えるのが上手いって言われるのと同じで。

だからむちゃくちゃ充実してますね。

こんな仕事させてもらえてほんとありがたい。

自分の好きなことを、好きなようにやって、報酬もいただける。こんないいことないですよ。

すごく喜んでもらえるし。最強の仕事を見つけたなって思います。

 

誰と話をしても、ぼくこれやりがいありますって胸張って言えますね。

ホリエモンにでも言えます(笑)。

 

──教えるうえで、どんなことを意識されてますか?

ぼくの役割は、歩く進みが遅い人の背中をちょっと押してあげたり、 歩けない人には補助して道筋を示してあげたり。自転車に乗れるようになるのをサポートするのと一緒ですね。

 

星一徹流だと今時ね。敷居が高くなってしまうし。それだと出来る人しかついてこれない。

 

ジャズが好き、やりたいという人は、みんなジャズ語を話せるようにしたい。

挫折がないようにしたいですね。

 

(つづきます)

【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第3回:プロになること。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

── (刺身をつまみながら)すっごく素人っぽい質問なんですけど‥‥

はい。

 

──プロにはどうやってなったのでしょうか?

プロは、最初は全然なるつもりなくて。

普通に会社員で、ギターが上手くなれればいいなって思って。

でも、練習してるうちに、弾けるようになってくると、やっぱりね、目指したくなったんですね。

まさかまさかとは思ってたんですよ。でも練習してくうちにだんだん変わってきて。

あぁやっぱりやってみたいって。

できるかも、って思ったんでしょうね。

だからそういう目標になったんだと思います。

 

で、どうすればプロになれるかというと、ほら何も試験も資格もないので、「今日からプロです」って、手を挙げたらプロなんですよ。

 

でも、ほんとの意味で、どうしたらプロとして認められるかっていったら、「同業者に認められた時」がプロだと思います。

 

たとえば、同業者から「この日空いてる?ちょっと代わりの仕事頼みたいんだけど」みたいな連絡もらった時に、「あぁー!おれ、プロなんだ!」って実感が湧きましたねぇ。

それまでは、プロですって名乗って、自分でブッキングして、勝手にライブやってたけど、セミプロやアマチュアと変わらなかったわけですよ。

プロになった、って実感したのはその時でしたね。

電話もらって、それはもうすんごい嬉しかったですよ。

プロかプロじゃないかの境目って特にないと思うんですけど、同業者に認めてもらったらプロ入りだって、ぼくはそういう風に感じましたね。

 

よく、プロかアマチュアの境目としては、お金をもらうかどうかを判断基準にする人はいますけど、そうはいってもねぇ、セミプロでもみんなお金もらってますもんね。金額の多寡は関係なく。

 

ただ、ギターが上手い、ジャズが上手いかどうかに、プロアマは関係ないと思う。

他に仕事してようが、何をしてようが、どんな人だって、ギターが上手くなることは出来るんです。

レコードに合わせて練習してれば上手くなるんですよ。だからそれはまったく関係ない。逆にプロをどんどん追い越してほしいです。

そしたらプロが危機感持って練習するようになるから、全体的にレベルが上がるじゃないですか。

だからプロかプロじゃないかって、正直どうでもいいんです。上手くなればいい。

 

とはいえ、自分の演奏の方の現実を、考えることもあります。

やっぱり20代の頃のようには練習してないですから、段々落ちてきてるわけです。

これが落ち続けてはいけないから、あとは現状維持、あるいは伸びていかなきゃいけないのだけど、なんだかんだいま現状維持すらできてない。

年々下手になってるんですよ。わかるんです。

 

味が出るっていうけど、確かにあるかもしれないけど、下手になってる。

下手になることが味だっていうのは違うと思うんで。なんというか。

テクニックが落ちてきて、その落ちた分を味で補うのは、まぁそれは歳によって衰えがあるから、スポーツ選手でも間違いなくあるし、いいと思うんですけど、だからって練習しなくていいかっていったらそうじゃない。

練習をやめたら落ち方が、とんでもない角度で落ちていく。それこそ本人が日に日に気がつくくらいの角度で。

 

だから、プロで居続けたいなら、何歳になっても練習しなくちゃいけない。

それは、強く思ってますね。 

練習しないプロはもう引退していただくと。

どれだけ、どんな名前を持ってる人でも、プロで居続けるならば、練習をしなくちゃいけない。

ある程度のレベルは保ってなきゃいけないんです。

 

80、90歳でも現役大賛成です。

渡辺貞夫さんが、今でもものすごく練習していて、リハーサルもガッツリやるっていうのを聞いて、あぁ、素晴らしいなって思いました。

プロとしての、現役としての心構えとして、すごいな、見習いたいなと思いました。

もう86~7歳ですよ。それでもなお練習してるって、そうできない。

 

──私の祖母がそれくらいの歳です。それを考えるといまだに現役プロってほんとにすごい・・

──菅野さんの目指すギタリスト像はなんでしょうか?

歌も歌えるギタリスト。ギターも弾けるボーカリストですね。

サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンて、歌がすごく上手いかって言うと、それほど歌唱力で聴かせるタイプではないんですよ。

でもすごく大好きで。

プレイヤーとしては、ぼちぼちでいいんですよ、ぼく。50年後、あぁこういう人もいたねって言われるようなね。

そのかわりハーモナイズドベースラインは誰にも負けないですけどね。潮先先生がいるけど。

 

──セミナーで弾いていただいた、300bpmの『Just Friends』の演奏、超高速で「なんじゃこりゃ!」って思いました。

切れ味なんです。別にどんな包丁使っても切れるけど、良い料理人が見るとわかりますよね。切れ味が違うっていうのはそういうことで。

だからあれは今でも訓練してます。

そこしか売りがないんですよ、プレイヤーとしては。でも一個でもね、売りがあれば。

カッコいいし。ギターデュオであれやったらお客さんに注目してもらえるし。

目立っちゃうから、ゲストの時はあまりやらないように気を付けてますけどね。

 

──ハーモナイズドベースラインのことは、ウロコ本にもたっぷり書いてありますよね。

書いてますね。出し惜しみしないです。

だって書いたところで、習得まで時間掛かるし。 どんどん追い越してほしいし。

師は弟子に追い抜かれてナンボですよ。それはめちゃくちゃ嬉しいですよ。

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[ハーモナイズドベースラインが載ってるウロコ本]

 

──文章を書くことは得意だったんですか?

いえいえ、昔から全然読書しなかったですし、作文が得意というわけでもなく、文章といっても会社でレポート書くくらいで。

でもやってみたら、好きなこと(ジャズ)についてだから、どんどん思ったことが出てきた。

思ったことをバーっと打ってたんです。タイピングも得意だったし。

で、朝起きて読み返したら、面白かったんです。「あれ?面白いじゃん」って。

書くことって面白いなって思うようになりました。

それと、必ず次の日に読み返します。1日寝かして。

 

──1日寝かすんですね。

書いてる時は頭がゾーンに入ってる時だから。

でも、読む人ってみんな普通の状態じゃないですか。だから自分も普通の状態で読みます。

あ、ここはくどいなとか。普通の人が読んでどう思うかって意識して。

ゾーンに入ってる時って、濃い目になるんですよね。ちょっとくどいな、もっと簡潔にならないかなって。そんなのを意識してました。

 

これはアドリブに通じるなって思いましたね。

聴いてる人に楽しんでもらいたい、っていう気持ちがあるから。

普通の人が聴いて楽しめてるかな?って。いいバランスが取れてるかな?って。

 

だから演奏中は大変ですよ。ゾーンに入りつつも、冷静になる自分もいるわけですよ。

1日寝かせられないからその場その場で。ゾーンに入りつつも別の冷静な自分が3メートルくらい上から見下ろしているんですよ。

客観的にみて、くどくないかとか暴走してないか、とかね。

 

興奮して、ゾーンに入って沢山弾いてる時にふっと気がついて、音数減らしてみると、お客さんから「イェー!」ってリアクションがあって。

音数減らしたことで伝わり方が変わるんですよ。

それまでこっちがずーって喋ってて、あっちは受け取りきれないやつが、シンプルになったら、あっちは100%受け取れる。

キャッチできるようになって。伝わり方がそっちのほうが大きいわけです。

こっちがバンバンバンバン投げてもキャッチできなくてこぼしてたら伝わってないんですよね。

少ない音で大事に大事に弾いたら、キャッチしてくれるわけで。

 

そっちのほうが伝わるんです。それに気がついて。いろんな発見がありました、文章書いてたら。

だから上手い人、すっごく上手いけど何してるかわからないっていうのは、伝わってないんです(笑)。

この球はどうだ?とかコースは、球種は、って色々投げてみて、おー取れた、じゃあこれはどうだ?ってやると楽しいんです。

 

常にキャッチボールのイメージでやってますね。相手に取ってもらう意識。ちゃんとキャッチしてくれることを意識して。

 

いまの表現いいですね、ぼくも今度コラムに載せるのにメモっておこ(笑)。

 

(つづきます)

【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第2回:潮先郁男先生のこと。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

──潮先先生の黒い教則本、こないだ古本屋で見かけて立ち読みしたのですが、難しかったです。ぼくは五線譜読めないので・・

えぇ、難しいですよねぇ。

内容は「練習しなさい」とか「○○はこうである」みたいな調子なので、本を読んでて、先生怖いんだろな、厳しそうだなと思ってました。

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[潮先先生の教則本 コンテンポラリー・ジャズ・ギター1です]

 

でもジャズが上手くなりたいからレッスン行こうって。

ドキドキしながら、先生に電話したんです。「レッスン受けたいのですが」って。

「じゃあ、来てください。えーと、桜新町の駅を降りて、蕎麦屋の左を曲がって」って道順を説明されて。

電話越しで書いたそのときのメモが本に書いてある(笑)。 

懐かしいメモが残ってます。

 

それで行ってみたら、もう全然。怖いどころかすごく温和な方で。背もちっちゃくてね。

「あーどうぞどうぞどうぞ」って。「おぉ、良いギター持ってますねぇ」って。

当時Super 400持ってたので。

「うわぁすごいなぁ、ぼくはこんなちっちゃいの使ってるんですよ」って。

もうそんな会話だけで気持ち良いなって思って。また会いに行きたいなって。

 

──本の印象からすると、良い意味でギャップがあったんですね。

そう。初回から、Cメジャースケールのことや、こういうフレーズがあるよ、っていうのを、その都度紙に書いてくれるんですよ。

レッスンの資料はなくて、その都度紙に。へぇぇと思って。

だから効率的ではないですよね。

でも、その心遣いというか、直筆で丁寧に書いてくれることに感動しちゃって。

 

──菅野さんのためにカスタマイズしてくれるんですね。それは嬉しい。教則本は使わなかったんですか?

そう。使わないんですよ。

ぼくもてっきり使うものだと思って持って行ったんですけどね。

本を取り出したら、「あーそれは使わないから」って。

「うん、それはね、使わない。大丈夫」って(笑)。

 

──へぇぇ。てっきり使うのかと思いました。

ですよね。あの本は、習いに行くまでの1年間くらい、毎日持ち歩いてたんです。

会社に通う時のカバン、ほら昔、90年代にサラリーマンがみんな持ってた、薄くて平たいやつ。

その中にいつもあの本を入れてたんですよ。

 

──毎日。本、結構大きくないですか?

結構大きい。分厚い。でも、新入社員だし持ち物なんて大してないわけですよ。

だからいつも会社に持ってきて、休み時間の度に読んで。

読まない日でもカバンに入れて。あの重さがちょうど良くて。

入ってないと軽すぎてスカスカだから。

それで、読みながら、タブ譜とか指板の絵とか自分で書いて。だからボロボロになりましたね。

 

──セッションもそのころ行かれてたんですか?

先生に習いに行って、3年目にはもうセッション行き始めてたかなぁ。

当時のレッスン資料があるんですけど、95年には『Body And Soul』のハーモナイズをしてるんですよ。

資料には日付を書くようにしてたので。

ハーモナイズをやってるってことは、もうそこそこ弾けてたはずだから、あの頃からだと思います。

 

でも、「緊張しい」なので、セッションの場に行くと全然弾けないことがよくありましたね。

力が入ってしまって弾けなくて。くそー、今度こそ!と思っては、また行って、というのを懲りずに繰り返して。

で、段々とステージ慣れしてきて、弾けるようになって、という感じでした。

 

──やっぱり繰り返しなんですね。

ですねぇ。めげずに懲りずに行くというのが大事だなと思いました。

恥ずかしいし、緊張するんだけど、でも知らない人ばっかりだし、だから行けたと思います。

あと他にも弾けない人いたから(笑)。

だから、あぁ自分だけじゃないんだと思って、それは救われましたね。

 

──セッションはどこに行ってたんですか?

よく行ってたのは、阿佐ヶ谷のマンハッタン。

本当に初心者のころに、セッションデビューしたのは、横浜のブルームーン。

その時は川崎に住んでたから。今はないんですけど。

初めてドアを開けたときのことは覚えてますね。

やっぱりドキドキしながら行ったのでよく覚えてます。

 

──セッションデビューのときはなんの曲をやったんですか?

え!そんなの覚えてないですよー。

ドアを開けて、目の前に景色が飛び込んできて、もう、そこから記憶がないです。

それまでのドキドキは覚えてるけど、中に入ったらもう情報が多すぎて、もうオーバーフローしちゃったんでしょうね(笑)。

一曲くらいはやったんでしょうけど、何をやったかとか、どんなだったかとはもう全然覚えてないです。

記憶に残ってるのは、3回目か4回目の行き慣れた頃からかな。

ドキドキしなくなって、やっと、あぁここなら大丈夫と思い始めた頃からは覚えてますね。

 

──えー、菅野さんでもそんな時期があったんですね!

いやー、もうひどいですよ。笑えますよ。

だから別に、ぼくに、才能があったとかそういうのないですね。

指が速く動くかっていったら人並みですしね。

ギターのテクニックでいえば、プロがいっぱいいるなかで中くらい。

うん、中くらいじゃないですかね。ちょうど。

 

──そうですか。

もちろんうまい人はいくらでもいるし、あぁ 自分と同じくらいだなと思う人もいるから。

まぁ、中の下くらいなのかなと。

速さとかのテクニックってそれこそ、100mを何秒で走れるかっていう世界なので、中くらいの人は努力しても届かないところなんですね。

だから努力してできることっていうのは、テクニックではなくて、ハーモニーのセンスだったり、アドリブのときの音を選ぶセンスですね、そっちの方を磨く。

センスの裏付けがほしいから、そのためには理論も勉強しなきゃなと思って。

100mを13秒か14秒で走る人が10秒台を目指しても、たどり着かないわけですよ。挫折するから。

 

──辛くなりますね。

無理なんですね。向き不向きの面でも。

だから、そこは割と早い段階で気が付いてて、ラッキーだったと思います。

 

(つづきます)

【目からウロコのジャズ・ギター】菅野義孝さんインタビュー <第1回:サラリーマンでした。>

ジャズ・ギター教則本の中でも、10年近く根強い人気を誇る「目からウロコのジャズ・ギター」シリーズ。

著者で、プロのジャズギタリストとしてご活躍されている菅野義孝さんに、インタビューの機会をいただきました。

 

「菅野メソッドのこと。」

「上京後のレッスンを受けていたときのこと。潮先郁男先生のこと。」

「アマチュアって?プロって?」

「ジャズへの思い。菅野さんのこと。」

などなど幅広いテーマに渡り、お聞きすることができました。

(なんと、5時間!)

 

都内某所の居酒屋でのインタビューでしたが、まぁお酒が進むこと進むこと。

思わず舌鼓を打つおはなしを、全5回でおとどけします。

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[菅野義孝さんのプロフィール]

菅野義孝(かんのよしたか)岩手県出身
潮先郁男氏に師事しジャズギターの基礎を学ぶ。
'98年 キングレコード「ジャズ新鮮組」でプロデビュー。
'03年 初リーダー・アルバム「Introducing Yoshitaka Kanno」発表。
'05年 セカンド・アルバム「Movement」では、ニューヨークにてメルビン・ライン(オルガン)、グラディ・テイト(ドラムス)と共演し好評を得る。
'12年 アルバム「JAZZ GUITAR」発表。
'13年 アルバム「JAZZ GUITAR 2」発表。
演奏活動の他に、教則本「目からウロコのジャズギター」、スタンダード曲集「ジャズ・スタンダード・コレクション100」の執筆、ジャズセミナーなど、「ジャズの楽しさ」を広める活動に力を注いでいる。

 http://www.kannoyoshitaka.com/

 

──上京してサラリーマンをされていたんですよね?その頃のこと、すごく興味があります。私もサラリーマンなので。

サラリーマンでしたよ。高専を卒業して、92年に20歳で入社で。

半導体メーカーで携帯電話の開発とかやってました。当時でいうと一番売れてる業界ですよね。

だから、9時~18時勤務でしたけど、残業多かったなぁ。もう毎日。

 

──うわ、それは忙しそうですね‥‥。潮先先生に師事してたのはそのころですか? 

入社して2年目のころから、潮先先生に習いに行きました。

仕事から帰ってきたら22時か23時だから、まぁ寝ないで練習しましたね。

土曜と日曜がレッスンで、朝10時からだったんです。

レッスン前の金曜の夜は、宿題終われば寝れるけど、終わらなかったら徹夜。

その生活を5年間やりました。

 

──5年間! 

もう、仕事めちゃくちゃ忙しくて。

そんな中帰ってきて、眠いけど、ギター抱えて椅子に座って机に向かって。

机のライト点けて、よしやるぞ!という気持ちになって、五線譜ノートに、『My One And Only Love』のハーモナイズをですよ、あーでもない、こーでもないとか考えながら、グーグー寝ちゃうという(笑)。

その頃、Super 400という大きなギターを使っていたんですが、Super 400って大きいから抱えて寝るのにちょうど良いんです(笑)。

よだれ流しながら。それでまたむくっと気がついて再開して。

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Gibson Super 400です。100万クラスの超高級ギター。

 

必ず毎日2時間は練習すると決めてたんです。

2時間寝て過ごしたこともありましたけどね。

でも、もう決めて無理矢理やってたので。

大変でしたけど20代半ばだったからできたんでしょうね。

あの頃はよく頑張ったなと思いますねぇ。

 

──毎日残業しながら‥‥。限られた時間の中でやってたんですね。

そう。そうですね。だから効果的じゃないと、ダメだと思ったんでしょうね。

時間がいっぱいあると、いつでもいいかって思って、練習しなくなりますね。

 

仕事中はいつも、「練習したい、練習したい、練習したい」って考えてましたよ。

会社のエレベーター降りて、歩き始めた時からもうスウィングしてましたから。

頭の中でセッションさせてましたね。

「レイ・ブラウンがベースで」

「ギターはグラント・グリーンで」

「ピアノは、んー、ウィントン・ケリーだと、どんな感じになるかな?」

とか考えてました。

頭の中で鳴ってて、みんなアドリブしてるんですよ。

もちろん、妄想ですけどね。

でも、それができちゃうぐらいジャズばっか考えてたし、聴いてましたよ。

 

──めちゃくちゃ飢えてますね(笑)。

飢えてる(笑)。「早く弾きたい!早く弾きたい!」って。

当時、会社の寮に入ってたんですけど、駅から20分くらい。結構遠かったです。

普通はバスで往復するんだけど、ぼくは、帰り道は歩いて、20分間ずーっとセッションです(笑)。

だから歩くことが楽しかったですね。ちょうどいいテンポでスウィングしてて練習になるし。

サッサッサッて歩いて、頭ん中で良い音楽が流れてて、えぇ、良かったですよあれ。

 

途中、看護学校の女子寮があって、「あ、可愛い子歩いてないかなぁ」とか、そういう、やらしいとこもあったりして(笑)。

楽しかったですね。

 

(つづきます)

 

ジャズ・アネクドーツとは


アネクドーツ(anecdotes)とは逸話であったりこぼれ話といった意味の言葉。

 

敬愛するビル・クロウの著作で、訳は村上春樹、挿絵は和田誠の同名タイトルの小説がすごく好きで拝借している。

 

「なぜ」書くのか

 

「ジャズ」

小難しく、敷居が高そうで、でも聴いているとなんだかカッコ良くて、手の届きそうにない憧れの音楽。

いつかはチャレンジしたいけど目を背けてきた日々。

 

2019年に、40歳を迎えるにあたり、一念発起してフルアコースティックのギターを購入した。

フルアコースティックギターとは箱モノのいわゆるジャズ・ギターという風体のやつ。

 

で、Youtube見たり教則本を買い漁ったりして、練習に励むも、なかなかモチベーションが維持できず悶々とする日々。

そんな中で、2019年4月にYoutubeで発見した、菅野義孝さんの「目からウロコ流」ジャズギターセミナーに参加してみることに。

 

ここには、自分と同じようにジャズが大好きで、ジャズギターを演奏したい、と思うも、練習の仕方がわからずに行き詰っている人たちが沢山いた。

藁にもすがる気持ちの人たちが集まるそのセミナーは、小難しい理論から入るのではなくて、まずアドリブからやってみようよ、という内容で、すごくアットホームな雰囲気を感じられる場だった。

 

おぉ!楽しい。これなら続けていけるかも!という感触を得て、プレイする楽しみを覚え、ずぶずぶとジャズ沼に溺れていくのだが、それと同時に沸々と湧き上がる思いがあった。

 

自分もジャズの楽しさを広めたいと。そのために何が出来るのか?と。

 

「何を」書くのか

僕がやりたいテーマは、ジャズの世界で活躍する方々の肉声を読み物として世の中に発信すること。

 

音楽業界で食っていくこと。さらにジャズという小難しそうで敷居が高そうな世界で活動していくということは、とても狭き門に飛び込む勇気がいることだし、物凄い熱量がないとできないことだと思っている。

 

いうなれば一流アスリートたちの世界だ。

 

そんな世界で「仕事」をする方々のお話しは、きっと苦労も努力も挫折も楽しさも夢や目標も、色々なことが詰まっているはずだ。

 

誰しもが、最初は普通の人で、いまに至るまでの失敗談であったり、嬉しかったこと、どんな思いでいるのか、という等身大の人間の声を聞いてみたい。

ちょっとおちゃらけた人間くさいエピソードも含めて。

 

そして、そんな熱量の高い話やこぼれ話を読み物として、ジャズ演奏に励んでいる人や、これからやってみたいと思っている人に届けたい。おすそ分けをしたい。

また、いまはジャズに縁遠い人にも、ジャズって楽しいと興味を持ってもらえるきっかけになったら素敵だなと思っている。